◆テニスと、出会ってしまった



子供の頃のみゆきさんは、それはそれは自由人であったらしい。



「私が生まれ育った府中市は、野山に自然があふれていたのと、近くに農家さんが多かったので、裏山を駆け回っているか、畑で土や作物に触れているかでしたね。植物やハーブについての本をひっぱり出してきて、野草を見つけて勝手に加工してみたりとか」



それと、多忙を極める母の願いで、学童替わりに2歳からスイミングスクールと、柔道場に出入りしていた。「水泳も柔道も、習慣になっちゃってましたね。水泳は20歳になるまで続けていました」

 

 

学校が長期休みの時は子供キャンプやスキー合宿。暮らしの中で様々なスポーツの環境で過ごすのが私の普通でした。そんなみゆきさんが、テニスと出会ったのは、中学生の頃のことだ。



「同じ市内に、テニスの強い、私立の学校があったんです。そこの監督さんが、見込みのある生徒を探しに、うちの学校に視察に来たんですね。それで声をかけられて、練習に連れていかれて。私はテニスに向いた身体つきをしているから、とりあえず何回か行ってみて、楽しくなかったらやめればいいよと言われて」



初めてラケットを握らされて、そのまま、テニスにのめり込む。「意外と難しかったんですよね。俊敏さが要るし、的確に当てないと飛ばないし。身体と頭を、同時に使わなくちゃいけない。ゲームを攻略するみたいな感じですね。

 

 

負けず嫌いなのと、探究心がすごく強いので、テニスのテクニックが書かれた本を調べて、その全部を試してみたりしてました」

 

 

一度、気になってしまったものは、とことんまで調べ尽くさないと気が済まないタイプだ。「高校も、テニスのために通ってた感じですね。お昼休み、ごはんを食べに学校に現れて、あとはテニス部の部室とか、テニスコートにいました。おとなしく座って授業を受けるのが苦痛で仕方なくて」



自分の人生に、必要なものとそうでないものを、何かと仕分けしたくなるお年頃である。

「朝練が6時スタートなので、5時半には学校に着くようにして。放課後は18時半ごろまで部活をやって、その後、テニスクラブに行って、終電ギリギリまでテニス一色。睡眠は、授業中に取ってました(笑)」



あはは、とみゆきさんが明るく笑う。



「小4のから中学生の頃は、毎年、何かしら選抜に選ばれて大会に出ていました。

海外遠征にも行くことも頻繁にありました。水泳だったりテニスだったり、スキーだったり種目はその時によって違うんですけど(笑)」



みんなでアメリカへ行き、恵まれた練習環境の中で思い切りプレイする。「その時にホームステイした家のお母さんが、植物療法士だったんです。朝起きたら舌の色を見て、その日の体調に合わせた、植物の効能を活かした食事を作ってくれて」



今、自分は、どういう状態にあるのか。それを自分で察知する習慣がついた。植物が、人の身体に及ぼすあれこれ。みゆきさんの興味は、そこにも向いていた。

 

 

「化粧水やシャンプー、リップクリームに至るまで、全部手作りのものだったんですね。それを、日本に帰ってからも作れるように、レシピをもらって、ハーブのお店に行ったりしました」



引っ越し屋のバイトを始めたのは、17歳。筋トレができて時給が出るから、体育会系の若者には人気の業種であるらしい。「あちらこちらからスポーツ選手が来ていたし、海外から日本に来ている選手たちもいました。2ヶ月ぐらいがっつり働けば、

 

 

 

学校指定の試合に出てクラブチームでの試合にも出るため、日本全国を飛び回る日々。

「とにかく、一緒にプレイする仲間と、一緒に過ごす時間がすべてでしたね。部活が終われば必ずガストに行って、どうすればプレイが良くなるか、ずーっと話し込んでいました。恋愛の話とかは全然出ない(笑)。目標がみんな一緒でしたから、すごく『親友』になれるんですよね」


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